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人類最後の男を演じきるウィル・スミス

トッド・マッカーシー
2007/12/18

●監督:フランシス・ローレンス 脚本:マーク・プロトセヴィッチ、アキヴァ・ゴールズマン 原作:リチャード・マシスン 撮影:アンドリュー・レスニー プロダクション・デザイン:ナオミ・ショーハン 製作:アキヴァ・ゴールズマン、ジェームズ・ラシター、デヴィッド・ヘイマン、ニール・モリッツ 共同製作:トレイシー・トーム、ジェフリー・J・P・ウェッツェル 製作総指揮:マイケル・タドロス、アーウィン・ストフ、デイナ・ゴールドバーグ、ブルース・バーマン 
●出演:ウィル・スミスアリシー・ブラガ、ダッシュ・ミホク、チャーリー・ターハン、サリー・リチャードソン、ウィロウ・スミス
●2007年/アメリカ/100分/2007年12月14日 日本公開
●配給:ワーナー・ブラザース

 この作品、ものすごく不気味に出来上がっているのだが、安っぽいホラー映画によくある脅かしが多すぎるのがうっとうしい。リチャード・マシスンが1954年に書いた古典的なSF小説の数度目の映画化である『アイ・アム・レジェンド』は、効果的に出来上がっているところもあるが、イライラするところも多い作品となってしまった。伝染病に冒されきった地球に残る健康な人類最後の一人として、かなりなところまで孤軍奮闘するウィル・スミスが、襲い掛かる人食い人たちに包囲された最後の砦をたった一人で守り抜く男を演じきり、スクリーン上での存在感を示しており、興行成績で言えば、全世界的に高い数字が見込めるということになるのだろう。

何度も映画化され、企画も二転三転した先駆的SF小説

 血を吸い人肉を食らうものたち満載の物語に、科学の粋を凝縮したマシスンの先駆的な小説ではあるが、これまでのところ、うまく映画化されてきたかというと、どうもそうでもないようである。最初の映画化は、1964年、ヴィンセント・プライス主演、シドニー・サルコウ監督、イタリアで撮影された『地球最後の男』になるが、これはもう安っぽいの一言に尽きる。二度目の映画化は1971年、チャールトン・ヘストンを主役に迎え、ボリス・セイガル監督による『地球最後の男 オメガマン』であるが、白子ばかりのカルト集団「ザ・ファミリー」と激突する主役というように物語を変えて望んでいる作品も、なんともピリッとしない陰鬱なものに終わっている。もうひとつ、『アイ・アム・オメガ』というビデオ・ストレートの作品(スタジオが大きな予算で作る映画の、寄生虫のような作品を低予算で作ることを得意としているアサイラム社から)も、ごく最近製作されている。

 この新しい作品『アイ・アム・レジェンド』には、『地球最後の男 オメガマン』の脚本家たちもクレジットをもらっており(興味深いのは、二つの映画が大きく違うのに、ということ)、最初に脚本を書いたのは、ワーナーブラザースが10年ほど前に再映画化を初めて発表したときの、マーク・プロトセビッチということになっている。そのときの企画は、アーノルド・シュワルツェネガー主演、リドリー・スコット監督というものであったし、その後、開発の中間地点で、トム・クルーズやマイケル・ダグラスの名前も主演として上がり、監督にマイケル・ベイということもあった。最終的には、アキヴァ・ゴールズマンがプロデューサーとして加わり、脚本も手直しをして企画へのGOサインを出したといういきさつもある。

無人のマンハッタンに生きる犬と一人の男

 短い導入部分(癌治療薬の発表をする医師を映し出すTV映像——クレジットされていないが、エマ・トンプソンが医師を演じている)に続くオープニングの数分間、何度も夢に出てきそうな風景を見せ付けられ、観客は息を呑むことになる。映し出されているのは、無人のマンハッタン。それまでと何も変わらない部分、崩れ落ちてしまった一部、草や潅木に覆われてしまった部分もあり、その中、打ち捨てられた車が渋滞の列を成したまま残る。「ヘアスプレー」、「レント」、「ウィキッド」といったビルボードが、まだタイムズ・スクウェアに飾られたままである。しかし、そこに生きるものは、空を行く鳥たちと、群れを成し走る鹿、そして夕食の餌食に、身を低くして鹿たちを狙うライオンだけである。

 そして、そこにひとりの男がいる。ロバート・ネヴィル(ウィル・スミス)、相棒であるジャーマン・シェパードを横に乗せ、ビルの谷間を抜けるように赤と白に塗られたシボレー・ムスタングGT500を駆る。ネヴィルは高性能なライフル銃を構え、走り去る鹿を打ち倒そうとする。しかし、狩りの成果はなく、手ぶらでワシントン・スクウェアのアパートの一室に帰っていく。部屋には食べ物や他の必要な品々が十分に蓄えられているように見える。

人工ウィルスから逃げ惑う人々、後に残されたのは人食い人

 正真正銘の非現実性を全面的に取り入れることはしていないが、監督フランシス・ローレンス(『コンスタンティン』)が見せるのは、何もない荒廃が持つ威厳に対する強い思い入れなのであろう(荒廃した街を作り出す際に、彼が原型としたのは、ジョン・フォードの西部劇に出てくる背景であったと伝えられている)。用意された舞台が醸し出すのは、そこに何かが潜んでいるのではないかという、本質的な恐怖と知りたいという感覚である。ネヴィルが夜をすごすためにハッチを閉め、愛犬とともに空のバスタブの中で丸くなって眠りにつこうとする際に外から聞こえてくる何かが吼え、叫ぶ声、そんな時も、何かがそこにいるという描写が一瞬挟み込まれる。

 過去を回想する中で思い出されるのは、三年前、死を呼ぶ人工ウィルスがアウトブレークを起こし、マンハッタンが隔離されてしまったという事実。軍の科学者であったネヴィルは、唯一このウィルスに対抗する抗体を持っていると証明されてしまう。そこで彼は、マンハッタン島から脱出しようとする妻と娘を見送った後も、マンハッタンに残ることになってしまった。大掛かりな夜間の非難シーンは、大勢のエキストラを集め、ブルックリン橋近くで撮影された。

 その後、彼が生き残った唯一まともな人間であることを知ったネヴィルは、厳しく決められた生活パターンを守ることで正気を保ち、他の生存者を求めてマンハッタンをうろつきまわる日々を送る——他の人間はどうなってしまったかというと、ウィルスへの感染が原因でゾンビのような人食い人に変わり果ててしまっている。そんな人食い人の活動は、夜に限られている。危ない橋ではあるが、そんな人食い人を捕らえれば、彼は治療薬を見つけ出す必死の実験を続けることが出来る。人としての暮らしを永続させようとする、彼のはかない望みのひとつである。

よくあるショック映像に頼ってしまったゾンビ映画

 残念なことに、物語が、ゾンビの住処——より良い言葉が見つからないのでこうしておくが——に入っていけばいくほど、監督は観客を驚かすためだけに作られた、それも売れ残り品のような、どこかで見たことのあるショック映像にますます頼りきってしまう。うまくいっているところもあるが、そうでないところも多々ある。いずれにせよ、そんなことばかりに始終してしまえば、作品の趣もしっかりと下降線を辿ってしまうものである。

 また、それに加え、どんなにうまくコンピューター・グラフィックスで作った怪物たちを映像化しても、ただもう疲れるだけで(怪物たちのすることといったら、走り回ったり、吼えたりするだけ)、どこかで見たことのあるような気分にさせられた上に(髪の毛がごっそり抜けたおどろおどろしい姿なのだけれど、どこかハリー・ポッター・シリーズでレイフ・ファインズが演じるヴォルデモート卿に似ているようにしか見えない)、とても信じられるような代物にすらなっていない(人間とは思えないようなスピードと力、敏捷性は、文脈で捉えようとしても信じられない)。悪役がひどいと、どんなジャンル映画でも、二、三階級、質が落ちてしまうものである。

台詞のない時間をうまく進行するスミス

 その後、ネヴィルは、ウィルスに侵されていない二人の人間に出会う。若いブラジル女性アンナ(アリシー・ブラガ、『シティ・オブ・ゴッド』)と、彼女が気にかけ、どこかに彼らと同じ境遇の人間たちがいるはずだという希望を持ちながら、彼女が育ててきた少年イーサン(チャーリー・ターハン)のふたりであった。ある意味、スミスの役は、トム・ハンクスが『キャスト・アウェイ』で演じた役ほどは、難しいものではないだろう。そこら中を動き回ることも出来たし、目を見張るアクションシーンも盛り込まれている上に、バレーボールではなくて、すばらしい犬との交流も用意されている。しかし、二つに共通するところがあるとすれば、長々と続くセリフのない時間帯、ほとんど俳優の身一つで映画を進行していかなければならないという点であろう。スミスは、これをうまくやり遂げている。新しく鍛え上げなおした身体を見せつけるところはほどほどに、襲いくる容赦ない脅威を前にひとり立ち向かうことから来る初期の狂気を合い間、合い間にしっかりと表現している。

 スミス最大の見せ場は、これは監督の舞台設定によるところも大きいが、ネヴィルが感染してしまった愛犬を始末する際にゆっくりと浮かべる苦悶の表情のクロースアップであろう。観客は彼の手元が映らないことに感謝するであろうし、スミスが見せる強靭な感情は、見るものをうっとりとさせるほどである。

 ほぼ無名に近いブラガの起用と、混乱の中、彼女が見せる鮮烈な厳粛さと落ち着きは、もうひとつのこの映画の魅力となっている。たとえ、その直後に起こるゾンビの襲撃が何もかもをB級映画のレベルに引き戻してしまっていても、その魅力に変わりはない。

 なんと言っても、この映画で最も心に残るのは、荒れ果て、無人の街と化したニューヨーク・シティであろう。その点においては、プロダクション・デザイナー、ナオミ・ショーハン、そして大きな美術班と視覚効果チーム、そして撮影監督アンドリュー・レスニーのもたらした想像力と専門知識の賜物と言えそうである。技術サイドは、全てこれ、良質なものとなっている。

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