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いい刀には鞘を突き抜けてほしい

2007/12/11

(C)2007「椿三十郎」製作委員会
(C)2007「椿三十郎」製作委員会
●監督:森田芳光 製作:島谷能成、千葉龍平、早河洋、永田芳男 プロデューサー:大杉明彦、富山省吾、三沢和子、徳留義明、市川南 製作総指揮:角川春樹 原作:山本周五郎 脚本:菊島隆三、小国英雄、黒澤明 撮影:浜田毅 美術:小川富美夫 編集:田中愼二 音楽プロデューサー:石川光 照明:渡辺三雄 録音:柴山申広
●出演:織田裕二豊川悦司、松山ケンイチ、鈴木杏、村川絵梨、佐々木蔵之介、林剛史、一太郎、粕谷吉洋、富川一人、戸谷公人、鈴木亮平、小林裕吉、中山卓也、風間杜夫、西岡徳馬、小林稔侍、中村玉緒、藤田まこと
●配給:東宝
●2007年・日本・カラー・119分・日劇PLEXほか全国にて12月1日より日本公開

 黒澤明は作家というよりもごく職人的な、近視眼的な凝り方にこだわるがために、かえって通り一遍の明晰な作家や上出来な職人以上の面白さを手に入れた名匠だと思う。その近視眼的な細部への偏執ゆえ、例えば『酔いどれ天使』では本来主人公の志村喬よりもサブの三船敏郎がぐいぐい中心にせり出してきたり、『生きものの記録』の三船や『天国と地獄』の仲代達矢のように本来もっと共感を呼ぶべき正義の人が暴走気味に見えてきたりと、なりゆきで映画が均衡を崩すときがあるのだが、そこがシナリオという文字通り筋書きのままには行かない映画の生成過程のスリリングさを垣間見せて魅力的なのである。何が言いたいかというと、黒澤明自身がよく出来た構成の計算を壊してでも自らのやりたい細部に執着してしまう個性であったからには、黒澤映画のリメイクはもっと自在に、それこそ天使のように大胆に行われるべきではないかと思う。そんな意味で、鶴橋康夫版のテレビドラマ「天国と地獄」、森田芳光版の『椿三十郎』、樋口真嗣版の『隠し砦の三悪人』……と相次ぐ黒澤映画のリメイクを白眼視する熱心なファンもいるだろうが、私はむしろ破天荒な翻案によるリメイクをこそ待望するのである。

なんとなく贅のついたプロポーション

 とりわけ『椿三十郎』は『天国と地獄』ともども個人的には最愛の黒澤映画であり、一方の森田芳光監督には8ミリ作家時代から強いシンパシーを感じているので、今回のリメイクが発表された時は快哉を叫んだくちである。が、待ちに待って試写室に飛び込んだ私は、開巻早々、ものの5分ほどのうちに妙に弛緩した気分になるのであった。なにぶん面白くならないわけはない脚本に忠実に撮っているのだから、最後までそこそこ堪能できはしたのだが、その緩んだムードはついに結末まで遮られることがなかった。だが、確かに筋書きはほとんど正確に同じである。これは何事かと思い、帰館してDVDで黒澤版を観ると、冒頭の社殿の若侍たちの話し合いからして喋りの速度も編集のテンポもまるで違い、いきなりカッティング・エッジを突きつけられる感じだ。そして、急速にいったん観る者を引っ張り込んで三十郎が現われるやカットは長めに切り替わり、以後この調子で言わば「出るべきは出て、引っ込むべきは引っ込んだ」見事なプロポーションで映画の肉体が築かれてゆく。

 そこで総尺何分かを見ると、黒澤版96分、森田版119分。これは何か新たな挿話が加わっていない以上、ひじょうに警戒すべき差異である(もし仮に森田版が73分であったり192分であったりしたら、その時間は明らかに前作に対する鮮明な演出上のたくらみを感じるわけであるが)。要は、森田版は全体にえもいわれぬレベルでゆったり気味、その積み重なりで「なんとなく贅のついた」プロポーションなのである。これは、どこがどうというよりも、ちょうどこのへんの緩さ加減が森田監督の体質的な映画時間ということなのだろう。緩いといえば、随所にはっきりと緩さを志向する改変もあった。黒澤版の伊織(加山雄三)に比べると今回の伊織(松山ケンイチ)は千鳥(鈴木杏)に対して当世ふうにフェミニンで優しく叱りつけたりせず、逃亡中の睦田夫人(中村玉緒)と千鳥はちゃぷちゃぷ寺田家の流れで脱力気味に遊び、腰元のこいそ(村川絵梨)はマンガっぽいガッツポーズを身上とし、椿屋敷で三十郎(織田裕二)に給仕するのはグラビア・クイーン軍団(森下千里すほうれいこら)である。

森田芳光らしい軽みのトッピングに対して
なぜか重たい織田裕二

 こういう森田芳光らしい軽みのトッピングはとても歓迎できるのだが、肝心の織田裕二がなぜか重たいのである。これは多分に前作の三船敏郎のワイルドさを意識しているのだろうが(また意識しないわけにはいかないだろうが)、実は前作をよくよく観てみると三船敏郎は確かに凄む場面では凄むのだが、基調としてはごくリラックスして軽快に演っている。だから、こと名台詞の部分となると織田が三船ふうのエロキューションになるのが勿体なく、軽さを目指す森田監督にシンクロしてそれこそ『踊る大捜査線』の織田になじんだライトさ、誠実さの線で自然に演技してくれたら無理がないのに(むしろ気張らない感じが三十郎のキャラクターにも近いだろうに)と思うことしきりであった。

シャレたひねりの結末の殺陣

 また、そんな織田を引き立てるためか、殺陣の場面では常にサイズが織田に寄り過ぎでアクションの全貌が見えず、一貫して血しぶきを排除して斬殺音だけにした節度は買えるが、活劇場面は中途半端にチャンバラが見えないところがあってもやもやが残った。したがって、シナリオの「とても筆では書けない」という伝説的なくだりで知られる結末の三十郎と室戸半兵衛(豊川悦司)の殺陣はいったいどうなるのやらと心配したが、これは本作の名台詞筆頭「いい刀は鞘に入ってる」を活かしたシャレたひねりがあって森田監督らしい。

 いろいろと記したが、その最後の殺陣のシャレを愉しみに劇場へ出かけて、新旧作の違いについて、つまりは映画表現の幅についてあれこれ考えてみるというのは決して悪くないことだ。

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