●2007年/日本/ドルビーSR/114分/6月28日から、シネカノン有楽町1丁目ほかにて日本公開
●配給:シネカノン
●配給:シネカノン
昭和30年代への懐かしさ

(c)2008「歩いても 歩いても」製作委員会
団塊世代が好きであれ嫌いであれ、彼らのやったことは紛れもなく革命であった。政治体制は微動だにしなかったが、人々のライフスタイルはすっかり変容した。現代人が昭和30年代をこれほど懐かしく感じるのは、かつての日本社会が、団塊世代によって破壊されたからである。彼らが直接手を下していない変化もあるが、彼らがいなければ、間違いなく今の日本のライフスタイルはなかった。
是枝裕和監督6本目の劇場映画『歩いても 歩いても』が現代人の琴線に触れるのは、現代を舞台にしながらも、団塊以前の日本の空気を表現しえているからである。
この映画は、3世代の家族のありようを、リアリティーあふれる日常的描写の積み重ねで見せていく。基本的な視点人物は、40歳を迎えた中年男の良多(阿部寛)。3世代の真ん中に位置する。良多が家族を連れて、老父母(原田芳雄、樹木希林)の住む実家を訪ねる。その日は、良多の兄の15回目の命日。兄は海で溺れる子供を助けて水死した。実家には、姉(YOU)の一家も来ている。
是枝裕和監督6本目の劇場映画『歩いても 歩いても』が現代人の琴線に触れるのは、現代を舞台にしながらも、団塊以前の日本の空気を表現しえているからである。
この映画は、3世代の家族のありようを、リアリティーあふれる日常的描写の積み重ねで見せていく。基本的な視点人物は、40歳を迎えた中年男の良多(阿部寛)。3世代の真ん中に位置する。良多が家族を連れて、老父母(原田芳雄、樹木希林)の住む実家を訪ねる。その日は、良多の兄の15回目の命日。兄は海で溺れる子供を助けて水死した。実家には、姉(YOU)の一家も来ている。
甘酸っぱい郷愁と若干の居心地の悪さを抱かせる、老父母
良多と同世代の観客は、この老父母に対して、甘酸っぱい郷愁と若干の居心地の悪さを抱かされる。70代であろう老父母が団塊以前の日本社会の残滓を保持しているからである。その残滓は既に消えてしまったか、あるいは間もなく消え去ろうとしていることを、私たちは知っている。是枝監督は、団塊以前と以後の差異を強調すべく、老夫婦の家で展開する事象を一つひとつ丁寧に描出していく。
団塊以前の日本社会の大きな特徴は、男女の役割がはっきり分かれている点である。この映画の老夫婦は元開業医と専業主婦。かつてはこんな夫唱婦随の家庭が普通だった。男は強く、女は優しく。男は頑固で、女はしたたか。男は仕事、女は家事。ワタシ作る人、ボク食べる人。現代では、もはやアナクロニズムとしか見えない。良多夫妻も姉夫妻も、対等な関係にある。団塊世代が作ったニューファミリー的な家族像が浸透したのだ。
外形的な差異の第一は、家の構造である。良多や姉の家はマンションなのではないか。一方の実家は当然のように一戸建て。風呂はユニットでなくタイル張り。部屋はフローリングではなく畳が中心。ベランダではなく縁側。作りが全体にちまちましていて、長身の良多は頭をぶつける。応接間という名称も今や死語だ。そして、何よりも仏壇。老母は、菓子をもらうとまず仏壇に供える。そんな光景も今やどんどん廃れている。
団塊以前の日本社会の大きな特徴は、男女の役割がはっきり分かれている点である。この映画の老夫婦は元開業医と専業主婦。かつてはこんな夫唱婦随の家庭が普通だった。男は強く、女は優しく。男は頑固で、女はしたたか。男は仕事、女は家事。ワタシ作る人、ボク食べる人。現代では、もはやアナクロニズムとしか見えない。良多夫妻も姉夫妻も、対等な関係にある。団塊世代が作ったニューファミリー的な家族像が浸透したのだ。
外形的な差異の第一は、家の構造である。良多や姉の家はマンションなのではないか。一方の実家は当然のように一戸建て。風呂はユニットでなくタイル張り。部屋はフローリングではなく畳が中心。ベランダではなく縁側。作りが全体にちまちましていて、長身の良多は頭をぶつける。応接間という名称も今や死語だ。そして、何よりも仏壇。老母は、菓子をもらうとまず仏壇に供える。そんな光景も今やどんどん廃れている。
映画のいたるところにちりばめられた差異
そんな団塊以前と以後の埋めようのない差異が、映画の至るところにちりばめられている。差異を統合する象徴として置かれているのが、タイトルの『歩いても 歩いても』である。いしだあゆみが唄って69年に大ヒットした歌謡曲「ブルーライト・ヨコハマ」のさびの一節から来ている。歌謡曲というジャンルを破壊し、日本の音楽シーンをフォーク、ロックからJポップへ進化させたのも、やはり団塊世代だった。
この映画は、団塊以後の日本のライフスタイルが約40年間でいかに変化したかを示すさりげない縮図になっている。ここに出てくるのは、団塊を挟んで上の世代と下の世代である。団塊そのものの姿は全く見えない。団塊の影があるとすれば、15年前に亡兄が自分の命と引き換えに助けた若者が、恐らく団塊ジュニアに当たる。そして、彼は定職に就けず、夢も希望も持てないロストジェネレーションとして登場している。
良多や妹と彼らの子供たちの関係は、今度は、このロストジェネレーションを挟んで上と下の世代になる。子供たちが大人になり、良多の世代が人生に幕を引こうとする頃、ロストジェネレーションによって日本人のライフスタイルは激変しているのだろうか。そして、その頃、平成10年代が郷愁の対象になっているのだろうか。
この映画は、団塊以後の日本のライフスタイルが約40年間でいかに変化したかを示すさりげない縮図になっている。ここに出てくるのは、団塊を挟んで上の世代と下の世代である。団塊そのものの姿は全く見えない。団塊の影があるとすれば、15年前に亡兄が自分の命と引き換えに助けた若者が、恐らく団塊ジュニアに当たる。そして、彼は定職に就けず、夢も希望も持てないロストジェネレーションとして登場している。
良多や妹と彼らの子供たちの関係は、今度は、このロストジェネレーションを挟んで上と下の世代になる。子供たちが大人になり、良多の世代が人生に幕を引こうとする頃、ロストジェネレーションによって日本人のライフスタイルは激変しているのだろうか。そして、その頃、平成10年代が郷愁の対象になっているのだろうか。











































