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メシ・フロ・ネルだけで描きあげる家族の肖像

2008/06/25

●2007年/日本/ドルビーSR/114分/6月28日から、シネカノン有楽町1丁目ほかにて日本公開
●配給:シネカノン

事実を虚構のごとくに再構成する是枝監督のセンス

(c)2008「歩いても 歩いても」製作委員会
(c)2008「歩いても 歩いても」製作委員会
 是枝裕和は、かつて極めてすぐれたドキュメンタリストであった。ドキュメンタリストというからには、取材の対象をあるがままに受容する自然体のまなざしを身上とする作家であるようについ錯覚してしまうので、是枝が送り出す劇映画の数々が過剰なまでの自意識や作為によって構築されていることには違和感があったのだが、よくよく考えてみると是枝のドキュメンタリーを力あるものにしていたのは、事実を虚構のごとくに再構成するセンスなのであって、それは虚心に事実を受容する姿勢というよりも、作為と自意識がものをいっていたに違いない。

 そして『幻の光』、『ワンダフルライフ』、『DISTANCE』と続く作品群は、確かに特異な設定と巧緻な演出が光ってはいたが、私は是枝がもっと緩やかに自我を脱して映画の豊饒な風土へ彷徨してくれないものかとないものねだりをするのであった。このあたりの是枝作品は、あたかもシミュレーション・ドラマを観るような上出来さと退屈さが同居していた。続く『誰も知らない』と『花よりもなほ』の対照ぶりは象徴的で、前者では是枝が頑なに映画を統御しようとするのを子役たちの思いのままの演技が逸脱することで異例の風通しのよさが生まれていたが、後者ではオトナの職業的俳優たちが是枝の縛りに準じてこわばった退屈さがあった。

作為と自意識を抑えた傑作

 そんな是枝作品が、一転自伝的な等身大のモチーフを扱うときいて、これは何か今までと一線を画す地平に是枝が跳んでくれるのでは、と期待を寄せた。結果、予測はうれしい方に当たって、これはいつになく脱力気味の是枝が、作為と自意識を抑えて淡々と親子のそこはかとない関係を描き出した傑作である。

 描かれるのは40歳くらいのいい年をした息子が再婚相手のこぶつきの奥さんを連れて、東京近郊の老いた両親のもとを訪れる、ただそれだけの1日の出来事である。まず俳優たちがいちいちはまっており、ぶつぶつ文句の多い阿部寛、一所懸命にこやかにしているが思うところの多い夏川結衣、調子よく間を持たせるYOU高橋和也、そして頑固で手持ち無沙汰な原田芳雄と、いずれも印象的だ。なかでも、是枝演出のいつにない脱力に呼応して計算しつくされた気ままさで通す樹木希林の演技は特筆ものである。

是枝演出の脱皮と跳躍を感じさせる

 いつもの是枝作品に見られる特異な、狙いに狙った設定は影をひそめ、文字通りメシ・フロ・ネルの些事の積み重なりがあるのみだが、その細部から見えてくる親世代と子世代それぞれの思いや齟齬の表現がじわじわと効いてくる。人物たちは、とっぴょうしもなく想像に難い設定はなされていないが、それぞれに微妙な不満や引け目を持っていて、それらがなにげなく交錯するところに波瀾が生じ、そこがえもいわれずリアルである。そしてこの賑やかに集合する一家が、実は唯一の不在者=死者である長男の記憶に縛られていて、それを核として各々の立場で激しい思いを抱えているという脚本の工夫がとても生きており、その思いの噴出で一気に暗澹たる雰囲気に陥った茶の間がどさくさの哄笑と饒舌でざわざわと転調する場面など、是枝演出の脱皮と跳躍を感じさせるところだ。

 厨房で常に無駄口をたたいて飄々と亭主の頑固さをやり過ごすかに見えた樹木希林が、長男の事故死に関しては亭主以上のおそるべき怨念と執着に生きていることが露見するように、悲喜劇が地つづきの「家族の肖像」が、淡々とあぶり出される。しかし、なによりこの作品のいいところは、とにかく最後まで是枝が緩やかに俳優陣を放流し、家族の明暗を軽く脱力したおおらかな視点でとらえているところだ。

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