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濃霧のように見通しが悪いパニック映画

ジャスティン・チャン
2008/05/08

ミスト
●原題:The Mist/2007年/アメリカ/125分/ドルビーデジタル、SDDS、DTS/5月10日(土)から日本公開
●配給:ブロードメディア・スタジオ

 突然変異した昆虫たちと狂信的な宗教家たちが、本作の悪役。それにしても、どちらがより醜いかということになると、これは難しいところだ。同じくスティーヴン・キングの原作をフランク・ダラボン監督が映画化した『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』といった著名な作品群より、ぐっと底意地が悪く、上品ぶったところもない。狂気に満ちた“地球最後の日”を描いたスリラーは、包囲され、逃げ道を失った人類の心理を描いた作品というよりは、人の気持ちをザラザラさせるようなB級映画と言ったほうがよいだろう。一本調子の性格描写、不機嫌さと狂乱の間を乱暴に行きつ戻りつする語り口が、作品を台無しにしてしまっている。ダラボン&キングのコラボレーションに対するお墨付きと、作家側のファンが持つ好奇心から、公開直後の興行収入は健全な数字に落ち着くだろうが、長期的な視点で見ると、濃い霧の中のように見通しが悪い。ここは、付属的なビジネスで巻き返しというところか。

ギラギラ&黙示録的なパニック映画とともに
ホラーのジャンルに戻ってきたダラボン

 6年前の『マジェスティック』で起きてしまった、持て余すほど批評的な、そして経済的な失敗の借りを返すため、脚本家であり監督でもあるダラボンが、比較的ギラギラとして、黙示録的な題材を扱ったパニック映画を引っさげて、ホラーのジャンルに戻ってきた(ダラボンの脚本家としてのクレジットには、80年代の『ザ・フライ2 二世誕生』や『ブロブ 宇宙からの不明物体』などが含まれる)。邪悪な霧が小さな町にたちこめ、町の住民たちがスーパーマーケットに閉じ込められる、というキングが1980年に書き上げた短編小説の設定を基に、ロン・シュミット(ダラボンが演出した米FXネットワーク“The Shield”の撮影などを担当)の素早い動きの手持ちカメラが、ドキュメンタリーの手法に近い緊迫感のある映像を生み出している。グロテスクなモンスターたちも、豊富な特殊効果や視覚効果、クリーチャー効果のおかげで印象的には描かれている。

 しかし、ここでダラボンが目指した、放っておけば短命で終わってしまうジャンル物にドラマとしての重要性を持ち込もうとした行為や、危機的状況下で人間が見せる他者に対する残虐性を表現しようとした試みは、結局、手痛い空振りに終わっている。スティーヴン・スピルバーグの『宇宙戦争』や低予算バイオテロリズム・スリラー『Right At Your Door』に見られるような、分裂症的な大狂乱の様相を呈してはいるが、作品としては、人間性に対する苦々しいほどに悲観的な見解を描き出すという点で、全く説得力がない。

“本物の怪物とは誰なのか?”
作品が投げかける本質的な疑問

 異常な大きさの嵐がメイン州の西にある湖畔の町を壊滅状態に陥れた。嵐が去った後、イラストレーターのデイヴィッド・ドレイトン(トーマス・ジェイン)と彼の息子ビリー(9歳の子役ネイサン・ギャンブル)は、食料と備品を買い揃えるためにスーパーに向かう。しかし、その時、湖畔の町は霧に覆われてしまう。その霧の正体がわからないまま(もっと悪いことに、その霧の中に何が隠れているのかもわからない)、買い物客たちは店の中にとどまることにする。つまり、外に出て行った者は皆、それっきり、無事な姿で戻ってこないからだ。

 ネバネバした足をたくさん持つ怪物や、巨大な羽を持つ太古の昆虫のような生き物が店に入り込もうとするという、とんでもない状況が生まれている中、スーパーの店員が「重大な問題が発生してしまった模様です」などという、金を出しても買えないような控えめな発表をする。避難民の中で、恐怖と失望、そして派閥主義が生まれ、映画は、“本物の怪物とは誰なのか?”という本質的な疑問を投げかけ始める。

金切り声を上げる過激な宗教家に扮する
マーシャ・ゲイ・ハーデンの怪演がギラリ

 そういった意味では、新しい惨劇が起こるたびに、「さあ、これでもあなたは信じないのですか?」と地獄を思わせるような言葉で糾弾し、金切り声を上げながら人々に鞭打つ過激な宗教家ミセス・カーモディ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)の右に出るものはいないだろう。狂ったように目をギラつかせるハーデンのおかげで、このとんでもなくステレオタイプな役柄は、ひどく楽しめるものになっている。「怒れる神をなだめるために、血塗られた生贄を!」と叫ぶ男たちや女たちに対する、映画自体のおぞましい見解を、もう少しで鵜呑みにしてしまうほどの熱を帯びているのだ。

 ジェイン演じるところのデイヴィッドも、優しく理知的で、どこまでも機知に富んでいるという(彼は体格のいい行動的な男であるとともに、感受性の強いアーティストでもある)、“応援しないわけにはいかないぞ”と言わんばかりの、ありえない存在で、彼の忠告を聞かないバカな登場人物たちは、次々と残酷な手口で罰せられていくのである。鈍い人物をどんどん殺していくのが、時間を大切にするホラー映画の伝統なのだが、混乱の最中にセックスにうつつを抜かす人物たちに悪い兆しが訪れる、というのも、これまた伝統である(本作では、魅力的な若手俳優アレクサ・ダヴァロスサム・ウィットワーによって体現されている)。

大規模な狂乱状態で本領発揮も
計算された終盤で手痛い空振りに

 お決まりの陳腐な描写はさておき、ダラボンは、中盤あたりに悲惨な状況を作り出すところで、本領を発揮している。プロダクション・デザイナー、グレゴリー・メルトンが作り上げたディテールに凝ったスーパーマーケットのセット内で、大規模な狂乱状態を展開し、同時に気取りのないスリルや笑いまでも生み出すことに成功している。しかし、この状態を長く保つことはできず、計算された終盤に向かうにつれて、キングのより野心的な大団円から離れ、観客がほとんど肩をすぼめるしかないようなエンディングで幕を閉じる。

 脇を固める役者の多くが、「ここで待っているよりも、状況を打開する何かをして、死んだほうがましだ」というセリフの使いまわしで身動きが取れなくなっている中、イギリス俳優トビー・ジョーンズとベテラン俳優フランシス・スターンヘイゲンだけは、感受性が強く、高潔な役を演じ、強い印象を残している。もぞもぞと気味悪くうごめくクリーチャーたちが、『エイリアン』のクリーチャーを真似ていることは明らかだが、そこそこ適切な動きを見せている。

 2時間より、ほんの少し長い『ミスト』は、短編を原作としたスリラーとしては長すぎ、ダラボンの前作までの作品と比較すると、食い足らない感が残る作品である。

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