フィリップ・ガレルは映画話法の探求者なのだと私は思う。彼の作品はに、登場する人物とストーリーに合った表現の探求である。したがって、複雑な内面を持った人物が登場すれば、映画の語り口は複雑に、シンプルなストーリーなら語り口もシンプルになる。“LA FRONTIÈRE DE L'AUBE”のストーリーは非常にシンプルで、したがってガレルが採ったアプローチもこれまでになくシンプルである。私はどことなくロベール・ブレッソンを連想した。
テーマは永遠の愛。写真家のフランソワ(ルイ・ガレル)は仕事で女優キャロル(ローラ・スメット)に出会い、恋に落ちる。二人はホテルの部屋で撮影を続けながら激しく愛し合うが、二人の関係はハリウッドに行っていたキャロルの夫が帰ってきて突然終わる。フランソワはイヴ(クレマンティーヌ・ポワダス)との穏やかな恋愛に逃れるが、フランソワを失ったキャロルは精神を狂わせ、ついには死んでしまう。亡霊となったキャロルがフランソワの前に姿をあらわし、こちらの世界に来て永遠に結ばれようと誘いかける……。
テーマは永遠の愛。写真家のフランソワ(ルイ・ガレル)は仕事で女優キャロル(ローラ・スメット)に出会い、恋に落ちる。二人はホテルの部屋で撮影を続けながら激しく愛し合うが、二人の関係はハリウッドに行っていたキャロルの夫が帰ってきて突然終わる。フランソワはイヴ(クレマンティーヌ・ポワダス)との穏やかな恋愛に逃れるが、フランソワを失ったキャロルは精神を狂わせ、ついには死んでしまう。亡霊となったキャロルがフランソワの前に姿をあらわし、こちらの世界に来て永遠に結ばれようと誘いかける……。
今回の撮影もまた名匠ウィリアム・リュプチャンスキーだ。ブレッソンは望遠気味のレンズを使った、フィックスの構図を好み、フィルムの色には特にこだわらなかったが、ガレルの構図はより引き気味で、よりフレキシブル、フィルムは今度もまたモノクロームである。モノクロームの方が、光と影とその境界にある曖昧な部分をより鮮明に表現できるからだろう。ガレルの手で綿密にデザインされ、フィルムに定着された愛のメランコリー。特にローラ・スメットの肉体と不思議な光を放つ瞳はこの映画の財産と言っていい。
映画に何を求めるか、人それぞれの考えがあるだろう。私が最初にカンヌに来た83年、ブレッソンの傑作『ラルジャン』の上映後に起きたブーイングは、私に“呪われた映画”の伝統が簡単には消えないことを心に深く刻みつけた。“LA FRONTIÈRE DE L'AUBE”が受賞作品として映画祭の記録に残ることはなくなったが、この作品の美しさは、年月の波に洗われるごとに、さらに輝きを増していくだろう。(5月25日 齋藤敦子)
齋藤敦子 映画評論家。パリで映画編集を学ぶ。フランス映画社宣伝部から90年にフリーとなり、ギャスパー・ノエ、ピーター・グリーナウェイの諸作品の字幕翻訳などを手がける。また「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「世界の映画ロケ地大事典」(晶文社)などの翻訳書も。カンヌ映画祭には83年から参加し始め、今年で23回目となる。
映画に何を求めるか、人それぞれの考えがあるだろう。私が最初にカンヌに来た83年、ブレッソンの傑作『ラルジャン』の上映後に起きたブーイングは、私に“呪われた映画”の伝統が簡単には消えないことを心に深く刻みつけた。“LA FRONTIÈRE DE L'AUBE”が受賞作品として映画祭の記録に残ることはなくなったが、この作品の美しさは、年月の波に洗われるごとに、さらに輝きを増していくだろう。(5月25日 齋藤敦子)
齋藤敦子 映画評論家。パリで映画編集を学ぶ。フランス映画社宣伝部から90年にフリーとなり、ギャスパー・ノエ、ピーター・グリーナウェイの諸作品の字幕翻訳などを手がける。また「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「世界の映画ロケ地大事典」(晶文社)などの翻訳書も。カンヌ映画祭には83年から参加し始め、今年で23回目となる。























