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『齋藤敦子が見たカンヌ注目作』
Vol.5クリント・イーストウッドの“THE EXCHANGE(原題)”

2008/05/23
 太平洋戦争最大の激戦地といわれた硫黄島の戦いを2つの側面から切り取って描いてみせた2部作『父親たちの星条旗』、『硫黄島からの手紙』から2年。誰もが認めるアメリカ映画の巨匠となったクリント・イーストウッドの新作は、さらに時代を遡って1920年代にロサンゼルスで実際にあった事件の映画化である。

 主人公は、電話局に勤めるシングルマザーのクリスティーン(アンジェリーナ・ジョリー)。非番の土曜日に一人息子のウォルターを家に置いて出勤した彼女は、家に帰ってみると息子がいなくなっていることを知る。何カ月かの捜索ののち、奇跡的に発見されて連れてこられた少年はウォルターではなかった。しかし、親子の対面に喜ぶマスコミや世間の反応を恐れ、ロサンゼルス警察は真実を隠し通そうとしたばかりか、本当の息子の捜索を続けるよう訴えるクリスティーンの口を封じるため、彼女を精神病院に送り込んでしまう。同じ頃、ある少年の告白から、少年ばかりを狙う恐るべき殺人鬼の存在が明らかになってくる……。

 映画は何の衒いもなく、実在の事件の展開を愚直なまでにまっすぐに描いていく。映画祭という場で見ると、今の作品とは思えぬほどクラシックな雰囲気を漂わせているが、それはイーストウッドの意図なのだろう。近代的な都市としての形が整ったものの、中身はまだまだ非近代的な社会が舞台。ストーリーが進むにつれて、映画が事件を追うのでなく、ただひとりの母親だけを追いかけていることに気づく。息子が別人だという真っ当な訴えさえ受け入れない警察機構。その警察の手によって精神病院の女性専用棟へ送られるに及んで、クリスティーンひとりの事件が、社会から圧殺されようとする女性たちへの連帯の物語へと広がりを見せる。ただし、イーストウッドは決して社会派にはならない。クリスティーンは結局、彼女を病棟から救い出してくれた牧師にもマスコミにも与せず、ひたすらひとりで戦い続けるのだ。これは、その昔、弱い者を助ける荒野の賞金稼ぎから、尊厳死を望む女性ボクサーの最後の望みをかなえてやる老トレーナーを演じた最近作まで、イーストウッドが一貫して描いてきた、最後まで意志を貫く人間の強さを描いた映画なのである。(5月23日 齋藤敦子)


齋藤敦子 映画評論家。パリで映画編集を学ぶ。フランス映画社宣伝部から90年にフリーとなり、ギャスパー・ノエ、ピーター・グリーナウェイの諸作品の字幕翻訳などを手がける。また「パリ快楽都市の誘惑」(清流出版)「ピアノ・レッスン」(新潮文庫)「世界の映画ロケ地大事典」(晶文社)などの翻訳書も。カンヌ映画祭には83年から参加し始め、今年で23回目となる。

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